夜のステレオ (AM2波)
夜のステレオ | |
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ジャンル |
音楽番組 (ステレオ音声によるポピュラー音楽など)[1][2][3][4] |
放送方式 | 収録 |
放送期間 | 1961年4月7日[5] - 1965年4月3日[6] |
放送時間 | 週1回 29分 又は 30分(詳細は、「放送時間」の項を参照のこと) |
放送局 | NHKラジオ第1+NHKラジオ第2 |
制作 | NHK |
夜のステレオ(よるのステレオ)は、NHKで1961年4月7日[5] - 1965年4月3日[6]に放送された、AM2波を使ったステレオによるレギュラー・ラジオ番組である。
概要
[編集]1952年12月、NHKはラジオ第1を左チャンネル、ラジオ第2を右チャンネルとしたモノラル音声2波を使ったステレオ放送を開始[注 1][7](当時は「立体放送」と呼んでいた)。以後、この形式による放送を随時行い、1954年11月13日には、これを定時番組化させた日本初のステレオによるレギュラー番組「立体音楽堂」がスタートする[8]。
この番組の開始した頃から、欧米のレコード会社によるステレオ録音が開始されたり、テープによるステレオ録音再生機やステレオ・テープ・ソフトも発売されるようになった。しかし、テープによる録音再生機やソフトは、当時の日本の一般庶民にとっては余りにも高価だったため、一般的には余り普及しなかった。
その後1958年8月1日になると、日本でもステレオ・レコードが発売され始め[注 2]、それを再生するステレオ・セットも売れて行く様になり、それにはAM2波ステレオの受信機能も付いているのが多く、更には同じ頃から、東京・大阪等の大都市に於いては、民放AM2局による同様のステレオ放送もレギュラー番組として始まる様になるなど、一般的に立体放送に関する関心も高まったこともあり、NHKは「立体音楽堂」の他に、主に軽音楽(ポピュラー音楽)を扱う新たなAM2波によるステレオ番組を当番組を編成することになった[1]。
しかしこの番組も、高音質でモノラル放送との両立性を持つ1波によるFMステレオ放送が1964年末頃にはNHKの全国の放送局で行われる様になった[注 3]ため、この番組も1965年4月3日の最終回を以って終了し、これで、1952年12月から12年余りに渡るNHKのAM2波ステレオ放送の歴史に終止符を打つこととなった。
放送時間
[編集]- 1961年4月7日(番組開始) - 1962年3月30日:毎週金曜 20:30 - 20:59(29分)[1]
- 1962年4月8日 - 1963年3月31日:毎週日曜 23:05 - 23:35(30分)[2]
- 1963年4月7日 - 1964年3月29日:毎週日曜 21:30 - 21:59(29分)[3]
- 1964年4月4日 - 1965年4月3日(最終回):毎週土曜 21:30 - 21:59(29分)[4]
放送内容
[編集]以下の記述は、NHK年鑑(1962年 No.2、1963~5年)に記載されている、当番組の項目を基にしたものである。(参照文献の詳細は、各脚注を参照のこと)
- 1961年度(1961年4月7日 - 1962年3月30日)
- 以前ラジオ第1にて放送されていた番組「輝くステージ」に代わり、軽音楽を主にしたステレオによる夜間番組として登場。放送内容の一部として、コーラスとオーケストラによる「ロシア民謡集」、「日本映画音楽集」等が列挙されている。[1]
- 1962年度(1962年4月8日 - 1963年3月31日)
- 毎月第2週は、ステレオ・レコード(アナログ盤)を放送し、その他の週は、ジャズ、歌、管弦楽、ラテン・アメリカ音楽の4種類を主に取り上げた。[2]
- 1963年年度(1963年4月7日 - 1964年3月29日)
- この年度は、毎月第1週をラテン・アメリカ音楽、第2週を管弦楽、第3週を歌、第4週をジャズに大別し、第5週がある月は、特集的に邦楽又は構成番組を制作。又、この年度は、文芸作品を4回放送した。[3]
- 1964年年度(1964年4月4日 - 1965年4月3日)
- この年度は、毎月第1週がジャズ又はラテン音楽、第2週がクラシックの名曲、第3週がヴォーカル・パレード、第4週が構成音楽、そして第5週がある月は邦楽名曲選という構成。又、年4回、文芸作品(「風の又三郎」、「かしの木のうた」等)も放送した。[4]
主な出演者
[編集]- 歌:ペギー葉山[2][3][4]、フランク永井[2]、アイ・ジョージ[3]、武井義明[4]
- コーラス:ダーク・ダックス[2]、東京混声合唱団[2][3][4]
- 演奏:原信夫とシャープス・アンド・フラッツ[2][3][4]、見砂直照と東京キューバン・ボーイズ[2][3]
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 日本放送協会 編『NHK年鑑1962No.2』日本放送出版協会、1962年9月1日、73頁。NDLJP:2474358/58 。
- ^ a b c d e f g h i 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1963年、149頁。
- ^ a b c d e f g h 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、154頁。
- ^ a b c d e f g 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'65』日本放送出版協会、1965年、172頁。
- ^ a b 朝日新聞 1961年4月7日 朝刊P.5 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ a b 朝日新聞 1965年4月3日 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'54』日本放送出版協会、1954年、191頁。
- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、131,132頁。